サーフィンにはいろいろな形があります。技術を追い求めながら他のサーファーと競い合うサーフィン、内なる自分を見つめて精神の浄化を目指すサーフィン、純粋な波に乗ることに喜びを求めるサーフィンなどなど。その中で、敢えていうならば「究極のサーフィン」とは何なのか、考察してみたいと思います。
楽しさの追求
みなさんがサーフィンを始めた理由はそれぞれあると思います。始めた年齢にもよりますが、ある人は親がやっていたから。またある人は海水浴の延長で。またある人は健康のため。ただ、始めた理由が何であれ、サーフィンを続けている人に共通していること、それは「楽しい」から、ということでしょう。初めて間もなく波に乗る滑走感に心を奪われ、それが故に続けて海に行くことになったに違いありません。
先に結論からいうと、「楽しむ」ことこそが究極のサーフィンだと言えるのだと考えます。というのも、たとえどんな大波に乗ろうとも、そこに少しでも楽しさがない限り、またやろうという気持ちにはならないからです。それに、初めて波に乗ったときに感じた楽しさを求めてサーフィンをしているところは、みんな少なからずあるはず。どんなに上手くなっても、どんなワイプアウトをしても、あの楽しさは忘れられないでしょう。
ということは、逆に考えると、サーフィンの楽しさと技術の向上は完全には一致しない、ということが言えるのかもしれません。そこに究極のサーフィンのさらにコアの部分があるのではないでしょうか? つまり、技術を度外視した純粋なサーフィンの楽しさこそ、究極の中の究極のサーフィンということになります。
マインド・リセット
それでは、純粋なサーフィンの楽しさとは何でしょうか? よく巷で言われているのは「サーフィンをするとすっきりする」「日常からエスケープできる」ということ。確かにサーフィンをすると、仕事で直面している困難や人間関係の煩わしさから離れることができます。海、そしてサーフィンには浄化作用があると言えるでしょう。
一方で、サーフィンしていると、波やライディングに固執してしまうことはないでしょうか? 良い波を乗ろうとやっきになり、周りが見えなくなってしまう。良いライディングをしようとして、波に乗る楽しさを忘れてしまう。それこそ、せっかく日常のよしなしごとから離れられたのに、波やライディングにこだわってネガティブな感情が生まれてしまっていることに他なりません。つまりは海の中での“よしなしごと”に囚われてしまっているのです。これは到底、純粋なサーフィンの楽しさとは言えないでしょう。そして、そういった感情を持つと、良い波に乗れなかったり、良いライディングが出来なかったりしたときにはさらに悪循環に陥り、サーフィンが面白くないものに成り果ててしまうのです。
シンプルなサーフィン
人は欲望の生き物なので、海に入ったらもちろんそういった良い波に乗りたい、良いライディングをしたいという感情は少なからず生まれてきます。しかし、それをいかに排除するか。それこそがピュアなサーフィンの楽しみなのではないでしょうか。もちろんそんなに簡単なことでないかもしれません。しかし、そんなときこそ、最初に乗った波で感じた楽しさを思い出してください。そこには良い波かどうか、良いライディングかどうかというところを超越した、純粋なサーフィンの喜びがあったはず。そして、次に来た波に乗り、ただブレイクに合わせて最後まで波を乗りつなげてみてください。そうすることでピュアなサーフィンの滑走感を心から味わえ、波と一体になるということがどういうことなのか何となくわかってくるはずです。余計なことを排除することで、逆に視野が広がり、見えてくる部分が出てくる。究極のサーフィンとはそんなものなのではないでしょうか。