#81 国内で最も有名な日本人コース設計家 巨匠・井上誠一とゴルフの出会い

Posted on : November.12.2025

国内で最も有名な日本人コース設計家といえば井上誠一氏ではないでしょうか。彼が手掛けた多くのコースは名門といわれ、これまで多くのトーナメントを開催してきました。そんな井上氏ですが、もともとコース設計家を目指していたわけではなかったといいます。どんな経緯で設計家の道を歩み始めたのか。彼の人生を振り返ってみましょう。


眼科医の長男として東京赤坂に生まれる
1908年(明治41年)8月1日。井上誠一氏は東京・赤坂の眼科医の長男として生まれました。母親は日本で最も歴史のある井上眼科病院・創始者の長女。井上家に養子に入った父親は、東京帝大卒業後にドイツ留学を経て井上眼科の院長などを務め、後年は宮中侍医を務めました。
父の後を継いで医師への道を進むつもりだった井上誠一氏ですが、成蹊高校在学中の1929年(昭和4年)に当時の流行病、急性伝染病疾患の嗜眠性脳炎に罹り、脊髄を悪くしてしまいました。「治療には腰を使うゴルフがよい」と進言を受け、病気療養のために訪れたのが静岡県の川奈ゴルフコースでした。
コースのロッジに長期滞在していた頃は大島コースしかなく、のちに『フジサンケイクラシック』を開催する富士コースは造成している最中でした。そして、富士コースを設計していたのが世界的に有名なコースデザイナーのイギリス人、チャールズ・ヒュー・アリソン氏だったのです。

井上誠一の人生を変えたチャールズ・H・アリソン
アリソン氏は近代的コース設計を日本に持ち込んだとされる人物です。『マスターズ』のオーガスタナショナルを設計したアリスター・マッケンジーらの事務所でコース設計に携わり、日本では川奈のほかに廣野ゴルフ倶楽部などを設計しています。現在は、広義で非常に深くてアゴがせり出したバンカーを「アリソンバンカー」と呼ぶことがありますが、その名前の由来になったのがアリソン氏です。
英語が堪能だった井上氏は、富士コースを設計するアリソン氏の通訳兼助手を務めることになりました。その仕事ぶりを間近で見ていた井上氏は、ゴルフ設計に魅了されて設計家の道を歩む決意をします。

デビュー作は28歳で設計した那須ゴルフ倶楽部
最初に本格的に設計に携わったのは2年後の1931年(昭和6年)の霞が関カンツリー倶楽部(東)のコース改造でした。アリソン氏の助手だったアメリカ人のジョージ・ペンクレース氏の助手を務め、その後に藤田欣哉氏が設計した西コースの新設にも参加。現場で造成を学び、コース設計の基礎を築いていきました。
井上誠一氏のデビュー作とされているのは、1935年(昭和11年)にオープンした那須ゴルフ倶楽部(栃木県)です。当時、弱冠28歳でした。藤田欣哉氏と共同で設計をはじめましたが、藤田氏の体調を崩して井上氏に全てを任せたそうです。
その後、73年の生涯を閉じるまでに設計したコースは、現存するもので国内だけでも40コース近く。手掛けた多くのゴルフ場はトーナメントを開催しています。

井上誠一設計の今季トーナメント開催コース
今シーズンの男子ツアーでは、『ANAオープン』の札幌ゴルフ倶楽部 輪厚コース(北海道)や『日本オープンゴルフ選手権』の日光カンツリー倶楽部(栃木県)、『ゴルフ日本シリーズJTカップ』の東京よみうりカントリークラブ(東京都)などが井上氏の設計コースです。
また、女子ツアーでは『ヤマハレディースオープン葛城』の葛城ゴルフ倶楽部 山名コース(静岡県)、『パナソニックオープンレディース』の浜野ゴルフクラブ(千葉県)、『資生堂・JALレディスオープン』の戸塚カントリー倶楽部 西コース(神奈川県)、『ソニー日本女子プロゴルフ選手権』の大洗ゴルフ倶楽部(茨城県)、そして国内で開催される米女子ツアーの『TOTOジャパンクラシック』の瀬田ゴルフコース北コース(滋賀県)などを手掛けています。
井上誠一氏の設計コースは超名門で一般予約できない所もありますが、インターネット予約が可能なコースもあります。“巨匠”が手掛けたコースでプレーしたことがない人は、一度ラウンドに訪れてみてはいかがでしょうか。

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